当支部会員の故・長野玲子様 追悼ページ
謹んで哀悼の意を表します。
当支部会員の長野玲子様が1月18日、
お亡くなりになりました。享年78歳です。
ご長女で支部会員の柴村馨様から、ご連絡を頂きました。
謹んで哀悼の意を表します。
西日本支部長 藤野博史 支部会員一同
2018年7月17日、熊本地震後の施設見学一泊旅行の際、
立ち寄った「北里柴三郎生家・記念館」前でのご様子。
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追悼 長野玲子さん
波多江伸子 (西日本支部 副支部長)
病室で「花街の母」を歌う看護部長
20年以上前、福岡市民病院でIRB(治験審査委員会)の委員をしていた頃に看護部長だった長野玲子さんと出会った。毎回、委員会が終わるとお茶をよばれてお喋りに興じたのだが、気配りのある明るいお人柄の方だった。
ワゴンに本を積んで各病室を回る移動図書館を企画し、退院する患者さんには色紙に筆で励ましの言葉を書いて贈った。
ある時、患者さんのベッドサイドで歌を歌っていると、伝え聞いた他の病室の患者さんたちから、うちの病室でもぜひ、と歌のリクエストがあった。「長野さんの十八番は?」と尋ねると「花街の母」と言う。思わず笑ってしまった。
ナースキャップに白衣姿。胸ポケットには花を一輪挿し、こぶしを回して演歌を歌う看護部長の姿に、患者さんたちは喜んでひととき病苦を忘れたことだろう。
「もちろん、勤務時間外のボランティア活動ですよ。早めに出勤して」。長野さんは照れた笑顔で付け加えるのを忘れなかった。
看護師長時代
2004年に福岡市民病院を定年退職した後は、長女の柴村馨さんと共に設立した有限会社「医療コミュニケーションセンター グレードアップ・ラボ」で、本年1月17日に急逝されるまで約17年にわたって所長を務めた。現役時代から、看護や介護に携わる人たち、特に新任スタッフが早々に燃え尽きて離職することに心を痛めていた。高い志を抱いて就職したのに惜しい。看護や介護に携わる援助職へのストレスケアやコミュニケーション支援が必要だと考えていた。
教育心理学とコミュニケーション理論を専門にする馨さんとタッグを組んで全国各地でセミナーや講演を行い、疲れ切った看護職・介護職たちにカウンセリングや憩いの場を提供した。
当西日本支部が発足間もない頃、長野玲子さんに協力をお願いしたら、多忙な活動の中、娘さん夫妻と3人で入会していただき、藤野支部長共々、ありがたかった。
母娘で講演中。右が馨さん
その後、コロナ禍で支部活動も思うようにできず、また個人的にも連絡することがないまま、この度の訃報に接した。
不慮の事故だったという。前夜、電話で無事を確認したばかりだったのに、翌朝訪ねると浴室で亡くなっていた。その時の娘さんの気持ちを思い「辛かったですね。驚かれましたね」とお悔やみを伝えると、「ヒートショックを起こして溺水したようです。私もですが、多分、母自身が一番びっくりしていることでしょう」。穏やかな声が返ってきた。ラボの所長は、「娘は冷静でしっかりしているので頼りになるの」と母に評価されていたその馨さんに引き継がれる。
突然の旅立ちにもかかわらず、グレードアップ・ラボのホームページには、所長の急逝のお知らせと「長野玲子からのご挨拶」が掲載されている。私に何かあった時はお願いね、と託されていた文章。
“住所変更-宙に輝く小さな星”
多くの人々の優しさに包まれて幸せな人生でした
人は一人では生きて行けない
見守ってくれる人々の心に支えられ
活きているその時々を大切にできます
あなたの優しさに心よりお礼申し上げます
2022年1月17日 長野玲子
晴れた冬の夜空。地球に近い小さな星から身を乗り出して、「わたし、ここよ~」と手を振っている長野玲子さんの姿が見えるようだ。隣には一足先に到着した大好きなパパもいる。存命の時も、他界された後も、懐かしい母のような人である。
(掲載の写真は、柴村馨さんからお借りしたものです)
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